きのうのできごと

きのうしたこと、あしたすること、あさっての夢

韓国映画「造られた事件」ラストが逸品byアマプラ

きのうの昼ごはん;牛肉のカレーライス

きのうの夜ごはん;キノコと小松菜のパスタ

 

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昨日は日曜日で自転車でお店に行ってそのままずーっといた、掃除をしようとか旅行計画立てようと思っていたのに結局何もできなかった、体と頭が動かなかった、花緒さんのYouTube見たりアマプラで映画見たりしていた、夕方4時過ぎたのでパスタを作って食して、お店の準備してお弁当作っていたら森田さんが1人で見えて色々村の話をした、びっくりしたのは和弘さんところの桜さんがナイフ持ってお父さんが仲間と飲み会しているところに怒鳴り込んできてパトカー呼んで大変だったそうだ、初めて聞いた、それって事件じゃない、何で私の耳には入らないのかしら、確かに地域に人と噂話しないからだけど、それでもそんなことになっているとは、勿体無い、頭も良くて美人でお金持ちなのに、そういうことになるなんて、結局農家の古いしきたりの中で積み重なってきた女性蔑視が形になっって現れたのだと思う。それで最近和宏さん来なくなっていたんだな、0氏はそれを知らないの?家族とか家庭とかにとらわれていると大変だ。

造られた事件は、最後の終わり方が逸品だった、事実は起こったことが事実、みんながそう思ったらそれが事実、というのはいい言葉だ、ある裏ぶれて女房にも逃げられて、そんな記者の元に1件の電話がかかってきた、連続殺人事件の犯人を知っている、という女の通報だ、半信半疑で尋ねてみると偶然が重なって、その話が真実であると思い込んだ、そこから記者h大スクープをものにした辣腕象hとして世間に認知される、会社側も優遇されて、有頂天になっていたところに、これで女房ともやり直せる、と有頂天になっていたところに、その犯人が単なる演劇人だったことを知り、犯人ハベrつにいることをするのだが、世間では犯人はあいつでそれを見つけたヒーローとして誰も疑わない、記者は事実を言おうとするのだけど、事実は闇に葬られてしまう、そうなっても事実を公表する必要があるのか、ということになって、女房のお腹の中の子供は自分の子だ、と信じたらそれは真実になる、それでいい、と記者は踏ん切りをつける、というオチでありました、最後がどんでん返しになっていて、‘納得のラストシーン、それまではハラハラドキドキのアクション満載で主人公の演技も良くて、犯人役の人もでぶっちょで怖くて、脚本が逸品だと思った、見てよかった映画だった、っというか、見始めて見入ってしまう映画はいい映画、途中でだらけてしまう映画はそれでもない、それが最近の私の映画に対する判断だ、それからヒッチコックの映画見知らぬ乗客、もよかった、古い映画が最近は面白い、1950年頃のアメリカ映画はいいね。

今日は月曜日で昨日はノーアルデイだったのでなんだか掃除もできそう、いのタイヤセンターへ行って、花の苗を買って、蔦屋に行って、プールして、買い物して、夜はサラダ、夜ごはんはサムギョサル食べたいな。