きのうのできごと

きのうしたこと、あしたすること、あさっての夢

別府3日目飲んで読んで食べて、、

きのうの朝ごはん:おにぎりと味噌汁(ホテルエール)

きのうの昼ごはん:チャンポン(宇和島運輸フェリー乗り場730円)

きのうのおやつ :寿司と瓶ビール1本(寿司めいじんatゆめタウン1400円)

きのうの夜ごはん:ワクワクダブルステーキ(1680円ゆめタウン3階)

きのうの晩酌  :缶ビール2巻と酎ハイ1缶と焼酎お湯わり

 

ゆめタウン別府のフードコート

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朝風呂しておにぎり朝食食べて、コンビニのおにぎり1個270円だった、高すぎ!体操して9時50分にホテルを出て歩いて歩いて宇和島運輸フェリー乗り場に行って散歩がてら、ちゃんぽんを11時10分ぐらいに食べた、塩辛かった、こんな味だったのかしら、すっごく美味しくて感激して食べてたのはなんだったのか、てちょっとがっかりした、でもこういうこともあるか、、、それからきた道を戻ってゆめタウンに行って3階で今日の日記を書いてフルーツジュースを飲みながら、その前に別府駅に行ってスギノイパレス行こうと思ったら、杉乃井ホテルただいま改装中で6月までお休みだって、そうなんだ、杉乃井ホテル改装中は知っていたけど全館なのね、、、ということで時間が余ったののでちょっと昼のみでもしようとゆめタウンの回転寿司に行ってみた、2度はないお店だった、それからホテルに帰ってカニサラダとハイボールとビールを飲んだら眠たくなって昼ねzzz目が覚めたのが17時56分、温泉に入ってからペッパーランチ目指した、最後にもう一回食べておかないと、という気持ちが強かった、ご飯は小にして完食、美味しかった、それから食品館覗いたけど買うものは特になく何も買わずにホテルに帰った、17時50分今日の出来事をメモしてからYouTube見て温泉入って缶ビールを2かん買って部屋のみ、12時になりそうなので眠りについた。

 

「70歳、湯豆腐でいい」太田和彦

方丈記・行く川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみ浮かぶうたかたは、かつ消えてかつ結びて、久しく止まりたるためしなし」旅の形も絶えずして、いつも同じではない、かつて楽しかった夢は今は幻、今日は今日で異う楽しみに出会う、それもまた消えてゆくかもしれないが、、

かつては毎夜の梯子酒が大好きだったが金があるなしにかかわあらず、72歳になったらその体力も気力も減退して、部屋のみ晩酌に熱情を注ぐ、

落胆の境地::店の佇まいからビールの器、つまみの種類に至るまで30年以上手を加えられていないような居酒屋の片隅で週刊誌の表紙の文面に目を走らせながら、ここにいるわたしを観察する、どこからきてどこへ行くのだろう、今まで何をしてきたのだろう、金持ちなのか貧乏なのか、幸せなのか不幸せなのか、身なりはどうだ、美人なのかブサイクなのか、考えることはいくらでもある、尽きない、そうしてビールの杯を重ねていくと胸が熱くなり体が軽くなり、ただただわたしはわたしクォ愛でて、この空間に溶けていく、なんと心地いいのだあろう、誰も知る人のいない、町外れの古い居酒屋でわたしの天国を見つけた気分だ、だから、古い居酒屋探訪はやめられない、さあ、もういっぱい飲んで天国にしばしの別れを告げよう。

一人旅の楽しみはいろいろあるが;;日常から離れて、毎日のルーテいんの決まった日常、大切な居場所の維持メンテナンス、しなければいけないことがあるのが日常で、日常から離れて非日常をとことん楽しむ、頭はお休みだ、心配事も計算も打算も諦めも無用、ただ考えるのは身の安全のみ、今日のランチに今日の夜飲み、非日常をたまに久しぶりに経験すると、自分が変化していることに気がつく、食べ物の好みが少し変わったかな、飲むペースと時間が変化したとか、日常ではわかりにくかった、自分の変化がわかって面白い、以前あんなに恋焦がれたあことなんかが幻と消えていき、今日は別の楽しみに夢中になっている、旅は自分の変化を感じる非日常の中で自分の委細な変化を見ることにある、と今回の旅で知った、人も物も人生も関係も何もかもが変化して流れて消えて生まれているものならばその変化を感じて愛でていきたい、旅はそれを教えてくれる、

古い日本映画が最近面白い:;年齢を経ることに従って好みは古い日本映画になった、年齢のせいなのかもしれないが、最近はネトフリアマプラにも飽きて、YouTubeの動画がノンフィクションとして面白くなってきた、そしたらそれにも飽きて、最近は古い日本映画が面白くなった、黒澤明とか赤い殺意とか、そこにある生活や風景や男と女の人間関係が自分の幼少期につながっていて懐かしさを感じるのもある、過去が懐かしい、そんな気持ちもあるかもしれない、それから昔の男優も女優も韓国ドラマに負けないくらい演技が上手いし、人間が描けている、女は女の哀しみがセリフでなくにじめ出せてるし、男は男の色気が爆発しそうだ、キムタクとか色気あります?そういう話を若い人にすると年寄りが何ゆうが?と馬鹿にされるので話せないことがジレンマ、旧作でも初めて見るものには新作、人生は過去に戻れないが映画は過去に連れて行ってくれる、映画の世界はやっぱり楽しい、韓ドラに飽きたら日本の古い映画だ。

心のささえ;;人生で大切なものは何か、心の刺せとか、、、を考えるために一杯がある、夜の帳が降りてくると向かい風に向かってずんずんと歩いてたどり着いたのは一軒の安酒場、最初のビールを一杯飲み干して、さあ、今日の宴の始まりだ、、、贅沢でなくていいからこの時間が持てることが心の支え、さあ、今夜も人生で大切なものは何かを考えながら飲むぞ、冷奴と鶏皮2本塩で、、

 

なぜ勉強するかというと、勉強すると自分が何も知らないことがわかってもっと学ぼうとか謙虚な気持ちになる、勉強しないと自分が何もわかっていないことがわからなくて傲慢になり勉強しなくなるからだ。

 

あとがき;;ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。朝に死に、夕に生きるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。人生には何が起こるかわからないし、何が起きても不思議ではない、それだからこぞ、世俗の名利を求めず、あくせくしない、ただ、無事で静かにあることだけを望みとし、心配事のないのを楽しみにしている、大事なのは自分であって、自分にとって何が必要で何が不要か、それを見定めて自分のために生きるのが当たり前なのだ、基準は他人にではなく、自分にあるのである。ーーー世を逃れ、身を捨ててからは、わたしは大体において恨みもなく、恐れもなくなった、命は天運に任せて、生命を惜しみもせず、死をも恐れもしない、この身を浮雲のように思いなしているから、現世の幸運を頼もせず、また悪運だからといっていとわない。一期の楽しみは、うたたねをする枕に極まり、生涯の楽しみは、折々に見た美しい景色に残っている。命は天運に任せて、惜しまずいとはず。これこそ悟りの境地といっていい。一期の楽しみは、そのときどきが与えてくれるものを味わって、こころ静かに生きることだ、それでこそ生を楽しむということだ。そういう境地に達する、はた目には落魄(らくはく):もともっていた栄位・職業や生計の手段を失い、することもなく、ひっそりとしていること、落魄れること。はた目には落魄としか見えないこの方丈の暮らしが、実は理想的な生き方の達成になったのである。長明は1人の方丈を、典籍のひもときや和歌詠み、また奉じる琵琶に託した、わたしは一杯の酒だ、独酌に相手はいらない、盃があればよい、豆腐があればなお結構。70歳をすぎたこの時期に開いた「方丈記」は自分を肯定してくれた、「一期の楽しみは、うたた寝する枕に極まり」とあるが、このごろよく眠れる。   令和二年一一月 太田和彦